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 しかし、にわかに曇った表情の少年は何を感じたのだろう。まさか散臭い神父の戯れ事を本気にしたわけではあるまい。
 それでも、窓のない室内に流れる冷たい風が頬を掠めていくのはなぜなのか。いや、自分に落ちた影と背後に感じる人の気配は何なのか?
 あれほど喚き散らしていた神父が嘘のように大人しくなり、意味ありげな笑みを浮かべているのを見て、少年は想像した最悪なものを確信に変える。
「まさか、馬鹿な……」
 姿を見ずともわかった後ろの人物に自然と身体が戦く。そして後ろを振り返ろうとした矢先――
「はいはーい。そのまま動かないで。動いたら頭と身体、二つにしちゃうよー?」
 この場に似合わない、まるで緊張感の欠片もない声が響いた。
「……抜かったのか」
 声を聞き、少年は動揺の浮かぶ顔で小さく呟く。
 後ろの人物が誰なのか、何者なのか、それを考えればこうなるのも十分有り得た話だが、よりによってこのタイミングで起きてこられるとは誤算だ。これでは目の前の神父を吸血して傷を治す計画が台なしになってしまう。
「てっきりショック死したと思ってたでしょ? 残念でした。僕ってば生命力強いのだけが取り柄だから、あのくらいじゃ死なないんだよね」
 狼狽している元人間の姿とはよそに、溌剌とした口調で喋る金髪のヴァンパイア――アリストは、言葉が終わると同時に白い首に手を伸ばす。
「!?」
 首根っこを掴み、宣言通り頭と身体を分割するつもりでいるのか、または絞め殺すつもりでいるのか、ニヤニヤ笑っている顔には何の意図も読めない。だが、一方が手負いで満足に力を発揮できない状態では、どちらが有利なのかよくわかる。
「もう、ここまでか……」
 人間ならまだしも、熟年のヴァンパイア相手に抵抗しても勝ち目はない――それは本人も十分わかっていたのか、力ない声は死すら認めたように思えた。
 ただ一つの雑音もなく、シンと静まり返った室内で一言。
「殺せ」
 己の命を背後のヴァンパイアに託した姿は潔さすら感じる。
「……うーん、そうだなぁ。僕の大事なとこ蹴って気絶させちゃう勇気は褒めてあげるけど、その間に血を吸ってたってなると許してあげられないよね。だからそれなりの覚悟はしておいて」
 相変わらず笑顔のまま、アリストは手中の少年に足をかけて張り倒した。
「――っ!?」
 突然のことに、受け身すら取れなかった身体は簡単にバランスを崩し、深傷をしたたかに床へ叩きつける。じわじわと広がる自分の血溜まりで、潰れた蛙のような体勢になった少年は激痛に苦鳴を漏らしながら身を捩った。
「さてと、ブラックちゃんも手伝ってくれる? 僕、この子に聞きたいことがあるんだ」
 床に張り倒した身体に片足を乗せ、潰さない程度の力で踏み付けているアリストの顔から笑いが消えた。冗談ではなく、これは真面目な話なんだと眼が訴えているのがよくわかる。
「その手伝いって何? 俺にできることなら別にいいけど」
 アリストの珍しくも真剣な申し出に冗談も言えず、一連の動きを眺めていた銀髪の青年は頷いた。内容は確認していないが自分ができることといえばごく限られたもので、そう難題を突き付けられる心配もない。
 目の隅で床に伏せた少年を見遣るブラックは遅れて室内を見渡す。いまだ気を失ったままのルキアも心配だ。それにセナに限ってはどこで油を売っているのか、帰ってくる気配がない。
「ありがとう。じゃ、ブラックちゃんはこの子が死なないように血を飲ませてあげて」
 様々な心配ごとに複雑な顔をしている青年が、一つの要求に過剰な反応を示す。
「まさか俺の!?」
「違う」
 珍しくも普段は突っ込まれる側のアリストが、天然並のボケを瞬時に両断する。今は冗談を言い合ってる場合ではない。
 血臭が充満した室内で食事をお預けにされた挙げ句、血を吸われたヴァンパイアがどれだけの渇きを堪えているのかなど人間には理解できないだろう。苛立ちすら見え隠れする顔でアリストは口を開く。
「食料庫から持ってきて」
「ああ、そういうことね。じゃ、今から連れてくるから待ってて」
 簡単なことに頭が回らなかった青年がようやく納得したところで、アリストは肩の力を抜いた。
 部屋を出るブラックを見送り、足元で呻いてる少年を見るや足を退けて自分も屈む。
「ブラックの刀、強烈だったでしょ? あれ、銀を蒸着させてるんだよ。だから血を吸っても傷の治りは遅いし、暫くは人間並にしか動けない。せっかくヴァンパイアになれたのに、幸先悪いスタートで本当ご愁傷様」
 心の底から同情してるようには思えない、やけに明るい口調は本来の彼のままだったが実際のところはわからない。聞きたいことがあるだけでわざわざ自分の食料を分けるなど意図が不明だし、普通ならいますぐここで質問の答えを吐かせてしまうのが筋だ。
 このヴァンパイアの思惑がどんなものなのか、床に突っ伏した彼もまた理解に苦しんでいるところだろう。