PREY T
「おはよう、ブラック」
暗い一室。
ここにもまたデスクワークに励む男が一人いた。
声をかけられ、初めてせわしなく動かしていた手を休めると、男は柔らかな笑みを浮かべて相手を出迎える。
「重役出勤ご苦労、セナ」
「それ嫌味だろ?」
仕事の開始時間はすでに過ぎている。遅れてここに顔を見せたセナは、寝坊したことがばれていた事実に唇を尖らせた。
「チクったりしないから大丈夫。俺もよく寝坊するし」
苦笑した青年は眠気を押さえきれないのか、生欠伸を噛み締める。
この城の中ではルキアを含め、全員が二交代制勤務に務めていた。普通の人間にしたら夜勤にあたる今の時間は、城主の活動時間を考えると最も重大な責任を負わされる時間帯だ。それでも人間は、不思議と太陽と共にあるよう作られている。やはり眠いものは眠い。
「そういえばブラック。上に提出する報告書、仕上げたのか?」
デスクワークに励むブラックを後目に、セナは頭に被ったフードをおろすと室内に散らばる燭台へ火を灯し始める。
この城の主であるアリストは根っからの蛍光灯嫌いで、城の中に電気は一切通っていない。それゆえセナの一日は、この城内の燭台に火を灯すことから始まるのだ。
「ご覧の通り、ただいま制作真っ最中ってわけ。俺、徹夜明けで眠いんだわ。セナはどうせ言わなくても出来てるんだろう?」
鬱蒼げな視線と共に深い溜め息を吐いたブラックは、徐々に明るくなる部屋の中でセナの後ろ姿を眺めながら首を振った。
「まじでやってらんねえ」
「じゃあ、辞職するか?」
「冗談」
蝋の灯りで朧気な色彩を含んだ姿が露わになると、声に似合わない線の細いシルエットを浮かべたセナは、三日月のように細い笑みを浮かべる。その表情は、傍目から見れば女性とも見間違えられるほどの美貌だ。
「毎度言っておくけど、俺は手伝わないからな」
「わかってるって。馬鹿でも一つくらいは学習するってもんよ」
ブラックにとっても、デスクワークほど苦手なものはない。そう確信できるほど曇った表情を浮かべた本人は、重い溜め息を吐きながらおもむろにデスクの時計を見つめた。
ルキアと先ほど話してから何分経ったか──約束の場所へ二人が来る前に、城主であるヴァンパイアの食事準備をしなくてはいけない。
「俺、まだ飯の用意してないんだわ。セナも来るだろ?」
ルキア同様、デスクワークから解放されるこの瞬間はさすがのブラックも安堵の色を隠せない。
ルキアといいブラックといい、肉体派の二人には頭を使う仕事はいささかきつすぎる。ましてや今夜は、ルキアが懸念してならない満月。月が満ちた夜には必ず不吉な事件が起こるのだ。
「何があっても俺は報告書の手伝いだけはしないからな。ルキアならまだしもお前とは管轄が違う。食料庫の管理はお前にしかわからない。いいな?」
「……はいはい。わかってますって」
何度となく聞いたセナからの言葉にもめげず、ブラックは意気揚々と席を立ち上がった。
握っていたペンの代わりに、デスクに立て掛けた二本の刀を取ると腰に差しながら満面な笑みを浮かべる。
蝋の灯りに照らされたその姿は、ルキアと同じ銀色の髪と翠瞳を携えており、アリストと同じくらいの背丈を持っている。見た目からすればブラックが食料庫の管理をしているなど不思議でならないが、そんな大男でも怖いものが一つあった。
「セナ行くよ。早くしないとルキア様々に半殺しにされる」
短気ですぐに銃を乱射する見境のない男、ルキア。その人物こそブラックが最も恐れる同僚だった。
「ああ、そうだな」
セナも頷き、部屋を後にする二人。二人ともルキアがどんな性格の持ち主かは十分に熟知していた。
「しっかしあれだねぇ。セナもご苦労様なことだよ。あのルキアと一緒に仕事だなんてさ」
「差し障りのないことをしてれば、ルキアだって銃を乱射なんてしないさ」
長い廊下を渡りながら、二人は永遠続くかのような道のりを歩き始めた。
「そのコツ、教えてもらいたいもんだわ」
苦笑と共に銀髪の青年は同僚の姿を思い出す。
ブラックも長いことルキアと仕事を共にしていたが、どうも彼のキレるタイミングだけは読めないでいたのだ。
「そのうちな」
「でたー、セナのそのうち。俺にも早く教えてもらいたいよ」
溜め息を一つ。ブラックは愚痴を漏らしそうな勢いで吐き出した。
「一人で言ってろ。そういえば今日は満月だ。ブラック、言うまでもないが気をつけろよ」
「はいはい」
セナも満月には必ず何かが起きると懸念していた。その予感は今まで嫌というほど的中している。ルキア同様に。
「あー、なんかルキアが食料の数を減らせとかなんとか言ってたけな……ま、普通と変わらないでもいいんだろうけど」
「ルキアのいつものことだろう?」
「そうなんだけど」